エンタメと芸術の狭間でモヤモヤする人達


誰にでもわかりやすいものを提供しようとすると、どうしても本質からは離れていく。離れていくというか、側をツラツラと触っているだけに近い。例えばテレビやエンターテインメントの作り方は、まさにそんな感じだなぁと思う。その専門分野に興味を持たせる事だったり、「大衆性という切り口」から導入する事で気楽に入れるように促す、という意味もあるだろう。

私は仕事でご一緒する方とは、本質的な話がしたいと思うタイプで、むしろその話だけでもいいくらい(笑)プライベートの話をしたとしても、本質的な目線からの話はとても楽しいですが、ワイドショー的、3次元的視点での会話は、もうそろそろ意味がないどころか、余計に事態を悪化させる事に皆が気付けばいいのに!とさえ思うほど(笑)簡単に言うと、洗脳から解けている人と一緒にいたい!!


話が逸れましたが、、、例えば、クラシック音楽を扱う何かがあったとして、それを受ける側の知識知見、経験がどこまでなのかを見て、提供する側は話す内容を変える必要があります。1番難しいのは、受ける側の方々の経験値に、ばらつきがある場合です。はてさて、提供者はどこのレベルに合わせて発信するのか??

芸術をエンターテインメントの材料として扱う事もできるし、表面的な話は抜きにして、楽曲の本質に迫る内容にする事もできる。しかしながら後者の扱いは、やっぱりそれ相応の知識と経験、そして技術が身体に入っていないと、通じ合う事は難しいですよね。


「大人だから、仕事だから」と、場の空気を読み、笑顔でバランスよくこなすのもひとつ。気付いてるのに気付いてないフリをしてたりして、「保身第一」。まぁでも、保身は決して悪いことではない。社会人〜って感じがする。

だが芸術家は黙っていられない気質。保身なんてものは下らないと思うより前に、言葉が出ちゃったりして。「本質が不在な場だ!」と、ズバリ呈してしまったりする(笑)私はどちらかというとまさにこのタイプなんだけど。最近は抑える事もできるようになってしまった。

大人な対応とは、なんぞや?


私はいつもこの狭間にモンモンとしたり、時にはあえてエンターテインメントとして楽しむ自分を演じたり、使い分けしています。「私、社会人やってる!」なんて思ったりして(笑)私の中では、『自分を演じ分ける=社会人』なのかなって思ってて。

でも1番、安心して悦びに溢れるのは、本質に触れていたいもの同士が出会う時。楽曲の本質に触れた会話ができる時。それに深く向き合う時。それを共有できた時!!

相手の中に自分を感じ、自分の中に相手を感じる。この事以上に幸せな事は果たしてあるのだろうか。


表面的なエンターテインメント性は、その専門分野の入り口にいる方にとっては素晴らしい体験で、貴重なものになる事は理解したうえで、、、芸術家はやはり、しっかりと本質に向き合う時間を持ち、芸術を語る者と時間を共有し、味わい、共感し、時に違う価値観に触れ、認め合い…という時間をどれだけ人生の間で体験できるのかで、幸福度が違うんだなと思うのです。