母と娘のあれこれ

「開けてびっくり音楽のおもちゃ箱30」@イルド音楽院(水島サロン)にて、松田学さんの講演前に演奏させて頂きました。

今回、色々な奇跡が巡り巡りました。
認知症で一人暮らしを頑張っている我が母を「連れて来ないか?」とお声がけ頂き、母にとって初のショートステイ先が、なんとサロンから車で10分の距離という奇跡。


サロンオーナー水島さんご主人の林さんには、ステイ先とサロンの送迎をして頂きました。サロンに到着するや否や、母は「家に帰りたい病」スイッチが炸裂。そこからは聞かん坊の問題児です。にも関わらず、みなさん温かく包んで頂き、まるで家族以上のような愛で「おのちゃんママ」をあやしてくれました。しかし我が母、実に手強し。皆さんにはもう頭が上がりません、私。


「お母さんにとって、幸穂さんの演奏(仕事としての)を聴けるのはこれが最後かもしれない」と、うちの母の集中力の限界を見て、この時を逃すかと、ビデオに収めて下さいました。上久保先生ありがとう。母が乗り出して聴いている姿。胸が熱いです。


ショパン
ノクターン8、ノクターン7、マズルカ17
3曲弾きましたが、2曲目で母の集中力は限界でした。母をずっと側で見守りながら、奥の部屋に連れて行き、母に言い聞かせて下さっていた、水島さん、上久保先生、林さん、天田さん、長野さん。本当に本当に本当にありがとうございます。


2曲目が始まるや否や、母が立ち上がり帰ろうとする所を水島さん達に取り押さえられ連れて行かれましたが、私は演奏をやめませんでした。とにかく音楽を止めませんでした。奥の部屋から母の聞かん坊声が聞こえてくるというカオスの中、ショパンの音楽は美しかった。カオス。
音楽家にとって、母、という存在は、特別です。


いちばんのファンであり、いちばんの応援団であり、いちばんのサポーターであるのが、音楽家の子供を持った母です。
そんな母はもう、私の演奏よりも「家に帰りたい」が勝るようになった。その現実を受け止めながら、ピアノを弾きました。崩れませんでした。私もちゃんとプロになったんだと、思いました。

講演の最後に、バラード第1番を弾く予定でしたが、さすがに母の聞かん坊が限界でした。弾かずに帰らせてもらいました。悔しかった。すごく悔しかった。帰りのタクシーでケロッとしている母が憎たらしかった。娘の仕事がわからなくなってしまった母は、もう母ではありませんでした。しかし、そんな母が、私をピアニストにさせてくれたんです。こうやって皆さんに大切にしてもらえる人間にしてくれたのは私の母です。

父の時のように後悔を残したくないと思いながら、これから母の事をどうしていこうか、何が正解なのかわからないまま、この日の出来事は、私の中でも納得のいくもので、潔く、動いていく決意が決まりました。皆さんのおかげです。ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしました。