ショパンの装飾音とルバート(リストとの違い)

ショパンらしい演奏、ショパンが感じられる演奏には、繊細で洗練された装飾音や、自然なルバート(音符の長さを自由に変化させる事)が常に存在しています。それは、歌うようであり語るようであり、心のひだが音に表れる、そんな演奏です。私は何故かこの感覚が、元々身体にある気がします。だからショパンが好きで、ショパンの演奏にこだわるのかもしれません。

素晴らしいピアニストの演奏をコンサートや録音で聴きますが、他の作曲家の演奏は「素晴らしい!」と感じても、ショパンとなると、「うーん。。」となる事が多い私です。。特に、リストっぽいショパンを聴くと、帰りたくなります(笑)

リストは和声的に装飾音を散りばめているので、一気にバッと弾くことで、唸りを効かせたり、キラキラした輝きを見せる事が出来ます。装飾音的なフレーズを、固まりとして弾くと、カッコよく決まるのです。

対してショパンの装飾音は、全て旋律内の音として、1音1音に言葉が付いているかのように、ニュアンスを着けて美しい歌にすることを求められます。ですので、ショパンの装飾音的なフレーズは、決してリストのように弾かないでっ!!←懇願(笑)

そして、ルバートの掛け方。
ショパンのルバートに関して、当時リストはこう述べています。
「あの窓の外に見える樹々を見てご覧なさい。風にざわめいて葉が波打っているのが見えるでしょう。でも、幹の方は少しも動じていないでしょう。これがショパンのルバートですよ。」
ここでの「風に波打つ葉」は、右手の旋律を、「動じない幹」は、左手の伴奏型を指しているのでしょう。リストさん上手いこと言いますな!

右手は美しく自然に歌う歌手、左手は優れた伴奏者です。左手が右手の歌を支えつつ、導いている状態。流れを掴んでいるのは、左手だと思います。美しい右手の旋律に耳が行きがちですが、大切なのは左手です。左手の伴奏に歌が宿り、歌の呼吸を左手でコントロール出来れば、あとは右手の旋律は安心して身を任せるように自然に表現ができます。

左手の和声を聴きながら、右手の旋律を自由に弾く、それが、ショパンのルバートです。ある意味で、左手と右手の独立を求められていると感じます。


対してリストは、上に書いた装飾音の扱いと同様、やはり和声的です。左手と右手のパートを1つの固まりとして、同時に絡めてルバートをかけるイメージになります。


同じロマン派を代表するピアニストであり作曲家である2人ですが、音楽の作りがそもそも違うのです!性格の違いだけではなく(笑)

もうお気付きかと思いますが、ピアニストにとって、リストは実はとっても弾きやすいのです。弾きやすいのに、難しく派手に聴こえるように効果的に作られています。それに対してショパンは、、はい、難しいのです。何故なら、ハマらないと、弾きづらさを覚える作曲家だからです。

ショパンマニアの私としては、レッスンで生徒さんにショパンを近付けることが、たまらなく好きです。